真的有忍术吗?日本忍者究竟是什么样的?
发布于 2022-05-18 12:52
―――忍者研究第一人
三重大学人文学部山田雄司教授対談
記者:山田先生、こんにちは!
お忙しい中、貴重なご時間いただき、誠にありがとうございます。昨年度、『中日交流誌』は先生の忍者研究の文章を発表後、中国の読者から忍者に関する問い合わせが多数寄せられています。たとえば、「日本に忍者が現れたのはいつ頃か」、「忍者の歴史はどうなっているのか」、「彼らの任務は何だったのか」、「忍者の管理体制は整っていましたか」など、興味津々の初心者が多いですが、先生からご簡単な説明をいただけませんでしょうか。
山田先生,您好!在先生百忙中打扰您,真的是不好意思。《中日交流》杂志,去年刊载了先生有关忍者研究的文章后,我们也先后收到一些有关“忍者”问题的询问,比如说:忍者出现在日本的那个时代?他们的职责是什么?有没有系统的管理体系等。感兴趣的初学者比较多,先生能就以上问题做一个简单的说明吗?
山田教授为大家讲授忍者知识
(该图为山田教授提供)
山田先生:たくさん質問をいただき、嬉しく思います。
忍者が誕生したのは古代の聖徳太子のときだとか言われたりしますが、史料上確実に見られるのは、14世紀はじめの『太平記』にある「逸物の忍び」という記述です。ですから、忍者は鎌倉時代末から南北朝時代のころに登場したと考えられます。
有这么多读者对忍者感兴趣,我也感到很开心。
忍者被认为是诞生于古代的圣德太子时期,史料上有确切记载的是14世纪初的“太平记“里的“逸物的忍”的章节里。所以忍者是被认为是在镰仓时期末到南北朝时期开始登场出现的。
南北朝時代、室町時代、戦国時代、江戸時代と忍者が存在して、情報収集を中心として治安維持に関わっていましたが、江戸時代の終わりとともに忍者の存在はなくなりました。
忍者在南北朝、室町、战国和江户时代都存在,主要任务就是收集信息,参与维护治安安全,但随着江户时代的结束,他们也就不存在了。
戦国時代までは、大名のもとで城の乗っ取り、放火などをしていましたが、江戸時代になると各藩に武士身分として仕えて城下町に住み、警備の仕事などをしました。
直到战国时期,他们一直依附于诸侯,为之工作,包括占领城堡,放火等。但是到了江户时代,他们作为武士为各藩主服务,住在城堡城镇,担任守卫等工作。
記者:忍者は特殊な武器を使うと言われています。私は三重県の白鳳城にある伊賀流忍者博物館で展示された忍者の武器を見たことがあります。確かに小さいものから精巧なものまでいろいろありました。忍者の武器は何かこだわりがあるのでしょうか。
据说,忍者使用的武器比较特别,我去伊贺忍者馆见学时看到过陈设在那里的忍者武器,的确是各种各样、小而精致,忍术对武器有什么特殊的要求吗?
山田先生:忍者は身近な物を利用して武器にしました。例えば農業で用いる鎌を改良して鎖鎌にしたり、杖の中に刃物を仕込ませたりしました。日常用いる針などを武器にすることもありました。
忍者用熟悉的工具作为武器。例如,他们改进了农业中使用的镰刀,使之成为链式镰刀,或者在手杖中内置刀片,他们还将针头等日常用品用作武器
また、火術を得意としましたが、完成させるために試行錯誤を繰り返していたことがわかります。
他们也擅长火法,但很明显,他们也经过了大量的错误和试验,才能使之变得更加完善。
記者:映画やテレビドラマで見る忍者は、黒い服を着て、顔をしっかり包んでいますが、ここに謎があるのでしょうか?
影视剧中看到的忍者,都是穿着黑色的衣服,把面孔包裹得很严,这里面有什么奥秘吗?
山田先生:黒装束を着て屋根に飛び乗ったりするのは、江戸時代以降作られた忍者のイメージです。しかし、潜入するときに見つからないように地味な色の服を着たり、膚に墨を塗ったりすることもあったようです。
穿黑色衣服,跳上屋顶是自江户时代以来创造的一个忍者形象。然而,他们有时会穿上朴素颜色的衣服,在皮肤上涂上墨水,以避免在潜入时被发现。
記者:生き残る忍者は少ないと言われていますが、蜂須賀正勝(小六)と服部半蔵の二人が良い最期を遂げたのは、それぞれ豊臣秀吉と徳川家康に従って、しっかりと保護されていたことと関係があるのでしょうか。
据说忍者能存活下来的很少,可是蜂须贺小六、服部半藏两人都能善终,这是不是和他们分别追随丰臣秀吉和德川家康有关,他们都得到了很好的保护?
研究室里的山田教授
(该图为山田教授提供)
山田先生:どちらも忍者というわけではありません。武将として主君に忠節を尽くしたことから大切にされたと思われます。
他们两人都不算真正意义上的忍者。他们是作为武士对君主尽忠了才是他们被重视的原因。
記者:忍術には多くの流派があると言われていますが、その中で現代まで受け継がれている流派はどのようなものでしょうか。またどこに行けば見られるのでしょうか?外国人が訪問して忍術を学ぶ事が出来る場所はありますか。
据说忍术流派很多,那么,流传到现在的有哪些?主要分布在哪里?有没有对外国人开放参观学习的地方?
山田先生:三重大学産学官連携アドバーザーの川上仁一氏は、甲賀伴党の忍術を伝えています。日本忍者協議会が行っている「忍道」では川上氏が伝えている忍術を学ぶことができ、日本各地に道場があります。
三重大学产学官联合研究顾问川上仁一先生(甲賀流伴党第21代宗家)正在传授忍术,可以在日本忍者协议会举行的“忍道”传授活动中,学习川上先生传授的忍术,在日本各地都有道场。
山田教授带领大家进行忍者学实践演习
(该图为山田教授提供)
記者:過去にあった歴史でありますが、忍者や忍術の研究は現代人に何を教えてくれるのだろうか。
过往都是历史,研究忍者和忍术,对现代人有什么启发呢?
山田先生:忍術は日本の風土の中から生み出された生存技術です。ですから、日々どのように生きていったらいいのかといったことが、精神的側面から日常の生活に至るまで詳細に記されています。私たちが参考にすべき点はたくさんあると思います。
忍术是一种在日本的风土中自然而然发展出来的生存技术。因此,从精神方面到日常生活,它详细表现了每日如何生活,我认为在里面是有许多东西是我们应该参考的。
記者:先生は長きに渡り、中国からの留学生を受け入れられておられます。彼らは普段、先生のもとで、どの様な忍者や忍術を学んでいるのですか。彼らに期待することは何ですか?
先生这几年也接收了来自中国的一些留学生,他们跟随先生一般也是研究忍者和忍术吧?先生对他们有什么期待呢?
山田先生:忍術書には孫子をはじめ、中国から影響を受けた部分が多数あります。中国からの留学生は、中国の文献なども用いて忍術書の分析を行い、いい成果を発表しています。
忍术书里,以孙子思想为首,受到了很多来自中国的影响。来自中国的学生也利用中国的文献和其他资料来分析忍术书籍,并发表了很好的成果。
記者:忍者の研究について、中国の研究者と交流があったそうですね。
先生在忍者研究中,和中国的研究者们也有一定的交流吧?
山田先生:中国社会科学院日本研究所で忍者のシンポジウムを行いました。中国の研究者にも論文を書いてもらい、本を出版しました。
在中国社会科学院日本研究所举行过忍者研讨会。我们还请中国研究人员撰写论文并出版了一本书。
記者:中国にも忍者ファンは多いので、中国の忍者ファンに向けて、先生から一言お願いします。
中国有很多忍者迷,先生能对中国的忍者迷们说点什么吧。
山田先生:実際に見たり体験したりするとさまざまな発見があると思います。ぜひ、忍者の聖地伊賀・甲賀にお越し下さい。
如果亲自来看看或者实际体验一下,我想会有各种各样更多新的发现。非常欢迎大家到忍者的圣地---伊贺、甲贺来游玩。
記者:いろいろ教えていただき、誠にありがとうございました。
非常感谢您的指导!
*采访与译文均为中日交流原创
未标明出处图片来源于网络


赴日投资、留学各方面都是一次全新的体验
解决不了的疑问
本文来自网络或网友投稿,如有侵犯您的权益,请发邮件至:aisoutu@outlook.com 我们将第一时间删除。
相关素材